その他

プロフィール

 

プロフィールをご覧いただきありがとうございます!

私は17年間専業主婦のアラフィフですが、WEBマーケティングの勉強をして在宅ワークで1年後に月収10万、3年後に月収50万を目標としています。

子供3人の中学受験のサポートが終わり反抗期と共にコミュニケーションが少なくなってきている家族と楽しく過ごすため年に2回もしくは3回、家族旅行の旅費にしたいと考えています!!

そして専業主婦でも精神的・経済的に自立したい。人と時間とお金に縛られない生き方を目指してます!

そんな私の人生について、お話しさせていただきたいと思います。

プロフィール

名前 きよママ
家族 夫、長男次男(双子)、三男
現在 17年間、専業主婦
趣味 美味しいものを食べること
旅行に行くこと

幼少期~小学生

私は大阪市で次女として生まれ3歳で千葉県へ引っ越ししました。5歳年下の弟
と普通の5人家族です。

当時の私は、人と話すのが苦手で内気な性格でした。一方、姉は快活で面倒見がよく、私の気持ちを親や周りの人に代わりに伝えてくれていたので、私は自然とあまり話さなくても済んでいました。それが楽だったのかもしれません。

姉や姉の友達と一緒に遊ばせてもらうことが多く、自分の友達は少なかった記憶があります。小学生になっても毎日、姉の友達と過ごし、私の意見も姉が代わりに伝えてくれていました。

両親にも自分から学校の出来事を話すことはほとんどなく、聞かれたら簡単に答える程度でした。

小学3年生の時、そんな私に興味を持ってくれた子がいました。クラスで一番明るく友達がたくさんいるKちゃんです。私は少しずつ心を開き、仲良くなっていきました。

Kちゃんのたくさんの友達も私に話しかけてくれるようになり、気づけば私にもどんどん友達が増えていました。

ある日、父の転勤で兵庫県へ引っ越すことが決まりました。とてもショックでしたが、もちろん受け入れるしかありません。

引越しして、初めての学校へ。

小学4年生になり4月の始業式、新しい学校に到着し担任の先生と顔合わせしました。初めての学校は楽しみと不安が入り交じります。教室に入ると、たくさんの子が話しかけてきてくれて、学校生活に安心が出来たのと同時に友達も一杯出来ました。

自然が多く、雨上がりの登下校の道にサワガニが歩いてたり、放課後には裏山に友達と秘密基地を作ったり自然を楽しむ日々を過ごしました。

昔の内気な私とは変わり、友達と話したり遊ぶことが大好きな子供になっていました。
先生や友達に恵まれ楽しい小学生生活を送ることが出来ました。

内気で弱気だった私が友達の影響で明るくなりました!
引越ししてからも友達と楽しく過ごしたことで内気でなくなりました。

中学生

中学生になると、スラムダンクに憧れてバスケットボール部に入りました。先輩、後輩がしっかり分かれていて廊下で先輩と会うと立ち止まり挨拶はもちろんの体育会系でした。

朝練、夕練もハードで筋トレもあります。壁立て倒立腕立て、手押し車、うさぎ跳び、階段トレーニング(校舎の1F~5Fをダッシュで上がり下りてくる)30回を3セットなどです。

部活が終わると、毎日クタクタです。帰宅→ご飯→お風呂→寝る。部活は本当にしんどくて辛かったのですが部員仲間と仲が良く、辞めたいと思うことは無く部活で根性、精神力、粘り強さ、仲間の大切さを覚えました。

勉強をする時間は無く成績は下がり勉強のモチベーションはありませんでした。部活を引退してからも授業についていけず希望の高校には入れませんでした。

ハードな部活を頑張りすぎて勉強についていけず希望の高校に落ちました。
けれども部活で根性、精神力、粘り強さ、仲間の大切さを覚えました

高校生

希望の高校では無かったので勉強のやる気はありませんでした。部活は入らなかったので放課後は友達と遊んだり高校生活を楽しみました。

ところが最初のテストで思いのほか高得点の成績を取り自分に自信を持ち授業、勉強が楽しくなりました。

平成7年1月17日 阪神・淡路大震災発生

冬休みも終わり、正月気分が抜けきった頃の早朝、それは起きました。寝ている時に急激な揺れが襲いました。阪神・淡路大震災です。

恐怖しかなく揺れが収まるまで布団の中で身を縮めました。ライフラインは断絶され真っ暗です。日が昇り明るくなってから外の様子を見ると近所の家の瓦が落ちていたり道路が盛り上がりヒビが入っていました。

私の住んでいた地域は、まだマシで数日後に電気が復旧しました。そこで初めてTVで地震の酷さを知り驚き、当たり前の日常の大切さを知り日々の小さな事に感謝を覚えました。同時に早く社会に出て貢献したいと考え短大に行くことにしました。

高校生活は勉強をしっかりすることが出来ました。
阪神・淡路大震災を経験した事で普段の生活への感謝、人に喜んでいただけたときの喜びを知りました。

短大生活と就職

必修単位を取得するために学校は毎日通い、アルバイトや車の運転免許も取得しました。仲の良かった友達の中には辞めて就職する子もいましたが無事に卒業しました。

何とか就職が決まり靴の販売員として働き始めました。新入社員は奥で新商品を箱から出し空箱を潰したり値札付けをすることが大半の仕事です。

お店の靴を覚えながら接客や掃除、下積みの仕事にも慣れ、次第に仕事が楽しくなって来ました。箱をつぶす作業も早くなり店内で立ちっぱなしで接客をする時間が増えると、貧血を起こし体調を崩すことが多くなりました。

鉄分を摂っても体調が戻らず迷惑をかけてしまうため、1年と少しで退職する事にしました。
その後は事務職に転職し結婚を機に退職しました。

体調不良で退職した販売員、結婚で退職した一般事務職と仕事の経験が出来ました。

結婚と双子出産

結婚してから仕事の忙しい主人の出張について行き、私だけ観光を楽しむ日々を過ごしていました。私は、出張について行けるように簡単なパートをして過ごしていました・。

そんな中、結婚3年目に双子を妊娠しました。驚きと同時に、主人と一緒に大喜びしたのを今でも覚えています。

主人はサラリーマンを辞め会社を立ち上げ毎日、忙しそうでした。
私は妊娠中は安定期がなく、切迫流産や切迫早産の危機に直面し入院するように言われましたが断り、実家で寝たまま勉強して色々な資格を取得しながらの生活でした。

37週目に入ったので計画分娩のために陣痛促進剤を打ち、陣痛を待ちます。
1人目を出産した時の勢いで2人目が逆子になると、緊急帝王切開になるので産科の先生方が7,8人分娩室に集まり見守る中、立会い出産をしました。

結果、2人とも正常分娩で出産することができました!双子出産の場合、1人目は初産、2人目は経産婦と呼ばれるそうです。出産後、再び陣痛が始まり1人目から14分後に2人目を出産しました💦とても大変でしたが2人の顔を見た時のかわいさと感動は忘れられません。

初めての育児は本当に大変で、1日が一瞬で終わるような日々でした。「仕事を始めよう」と思う余裕もなく、実家の両親にたくさん手伝ってもらいながら、忙しい毎日を過ごしていました。そんな中、双子と2歳8か月差の赤ちゃんを授かりました。

結婚して3年後に双子を妊娠、出産してママになりました。

三男出産

「3人いれば社会ができる」と主人がよく言っていたので、妊娠がわかった時はとても嬉しかったです。年齢が近い3人を育てることで小さな社会を作り社会性が身につくのではないかと思っています。

妊娠中は、元気いっぱいに走り回る双子を追いかけたり、両手で抱っこしたりと慌ただしい日々を過ごしていました。その結果、再び切迫流産や切迫早産の危機に直面し、実家で双子を見て貰ったり寝転がりながら子育てをして過ごす生活が続きました。

三男は予定日を過ぎても陣痛が来ず、41週目に陣痛促進剤を使用して無事に出産しました。3人の子どもに囲まれ、さらににぎやかで忙しい毎日が始まりました。

5人家族になりました。元気いっぱいの男の子3人のママの誕生です。

専業主婦になろうと思ったきっかけ

里帰りが終わり、あまりの忙しさに耐えかねて双子を一時保育に預けたところ、それまでは何も無かった2人が「赤ちゃん返り」をしてしまいました。
主人は仕事が忙しく、休みもほとんどない状態で、私はワンオペ育児でした。「忙しさから愛情不足になり、寂しい思いをさせてしまったのではないか」と深く反省し、一時保育をやめて3人としっかり向き合うことを決意しました。そして専業主婦として子どもたちと向き合う日々を選びました。

私のこの決断を尊重してくれた主人には本当に感謝しています✨

専業主婦になり一番近くで子供を見て、育てていく事を決めました。

双子の中学受験

双子が小学3年生の2月になると友達の塾通いが一気に増えました。放課後、遊ぶ友達も減り4年生の1学期には「自分たちも進学塾に通いたい。」と言い出し始めました。

入塾してからは、塾の送迎とお弁当作り、同時に下の子の習い事送迎で夕方は、ゆっくりする時間は、ほとんどありませんでした。

土日は学校のサッカークラブの当番や試合の送迎で、今振り返って考えると自分自身、良くこなしたと思います。

コロナ禍での中学受験

2019年武漢市で第1例目の感染者が報告されてから, 数カ月の間にパンデミックと言われる世界的な流行となった新型コロナ感染症により2020年3月~突然の全国一斉休校が始まりました。

双子は小学6年生で中学受験の塾も全てオンライン授業に変更、中学校のオープンキャンパスは無くなりました。
三男の習い事も全て無くなり、真っ黒だったスケジュール帳がどんどん白くなっていくことの恐怖を感じました。

外で遊ぶこともできず、3人でゲームや動画ばかりです。勉強はしません。行きたい学校が決まらないのでモチベーションも上がらないのです。

当時は公園で遊ぶことに批判的な意見が多く体力だけが有り余る日でしたが、なんとか子どものやる気を引き出しサポートした結果、受験2か月前に志望校が決まりました。

結果、同じ第一志望の学校に2人とも合格することができました。この時も専業主婦でよかった!と思いました。

コロナ禍で双子は中学受験を乗越えました。サポートが出来たことが嬉しかったです。

三男中学受験と物販スクール入会

2人が中学生になると、次は三男の中学受験の塾が始まります。

だいぶ生活は落ち着いては来ましたがコロナは落ち着いては無く9時登校になったり部活が暫く出来ない。などの影響が多々ありました。

家族内で体調不良の人がいると学校を休ませないといけなかったのですが2人が中学生になった事で私の時間に少しゆとりが出てきました。

三男の中学受験のサポートをちゃんとしたい。と思っていたので外で働くのは悩んでいたところ、ママ友から隙間時間に不用品販売を進められました。

子供の着れなくなった服や不用品がたくさんあったので恐る恐る出品したところ、すぐに売れました!

面白くなり実家からも不用品を貰い販売し始めました。写真の撮り方や小さなコツがわかると単価を上げても購入してくださることがわかり、物販スクールに入会しました。

物販スクールは商品を売るコツだけでは無く、マインドアップや時間の効率化の仕方なども教えて下さりました。不用品がなくなるとRe:sellerとして仕入れ、販売の仕方を教えて貰えて今もとてもお世話になっているスクールです。

このスクールで学んだ事はとても多く、感謝してもしきれないほどです。
そして不用品販売をしながら三男のサポートも続けて中学受験を無事に終えることができました。

三男の中学受験のサポートをしながら隙間時間に物販で収入を得ました。
物販スクールでは物販だけでなく色々な事を学びがとても勉強になりました。

WEBマーケティングを選んだ理由

三人は中学生や高校生になっていましたので、パートや派遣の事務で働こう!と面接するもスキルがなく仕事がなかなか見つかりません。

単発で入った仕事に行こうとすると、子どもの体調不良や熱中症などによる早退や欠席が何度かありました。子どもの学校が2学期制と3学期制の学校に分かれたため、休みやテスト期間が違い、誰かが家にいることが増えました。

そのため在宅で仕事をしたいと考えるようになり、オンラインスクールに入会しました。目標を達成するために本を読んだり、動画学習を聴く。
日々、知らない事の勉強で毎日は楽しいのですが、それでも経験値は有りません。

在宅の仕事も単発案件は頂けても長期での仕事が出来ません。どうしてか考えた時に自分の仕事の経験値が少ない事と強みが無いことが、やはり問題だと思いました。

そんな時スクールの企画の一つにWEBマーケティングの勉強会があり参加しました。
在宅で仕事をするためにWebマーケティングの勉強をして、それを強みに仕事をしよう!と思い、いまブログを書いています。

このブログを書くことは私にとって資産でありポートフォリオになります。WEBマーケティングの勉強をしながらアウトプットと成長過程をブログにしていきたいと考えています。

私は17年間専業主婦のアラフィフで仕事の強みはありません。
WEBマーケティングの勉強をしながら仕事をして
1年後に月収10万、3年後に月収50万を目標としています。

私と同じような方にも、勇気を与えられたら嬉しいし、専業主婦でも自立したい。人と時間とお金に縛られない生き方を目指したい!と思っています。